「印象派」という言葉は知っていても、どんな画家たちがどんな思いで絵を描いていたのか、意外と知らないという方は多いのではないでしょうか。19世紀後半のパリで、アトリエを出て光や色の移ろいそのものを捉えようとした人々の挑戦は、今も世界中の人を惹きつけています。本記事では、運動の歴史や作品にまつわる知識を問う全10問のクイズをご用意しました。肩ひじ張らずに答えてみてください。きっと絵の見方が少し変わるはずです。
Q1 : 印象派の展覧会(1874〜1886年)に全8回すべて出品した唯一の画家は誰?
カミーユ・ピサロは、1874年から1886年まで開かれた印象派の展覧会に、全8回すべて出品した唯一の画家として知られています。農村や田園、パリの街並みを好んで描き、光と色彩の変化を一貫して追求しました。年長の画家としてグループの支えとなり、若い世代の画家たちとも交流しました。モネやルノワール、ドガらが途中で参加を見送る時期もある中で、ピサロが一貫して参加し続けたことは、印象派の運動を支えた大きな要因といえます。
Q2 : 1863年の落選展で話題になったマネの作品は?
「草上の昼食」は、エドゥアール・マネが1863年に制作した作品で、同年に開かれた落選展(サロン・デ・ルフュゼ)に出品されました。公式のサロンで落選した作品を集めた展覧会で、裸婦と着衣の男性が草の上で食事をする場面は当時の人々に大きな衝撃を与えました。古典絵画の構図を引用しながら、それを現代のパリ郊外の風景に置き換えた点が批判されましたが、若い画家たちには大きな影響を与えました。マネは印象派の展覧会には出品しませんでしたが、その明るい表現は印象派の先駆けとみなされています。
Q3 : 「ルーアン大聖堂」の連作で知られる画家は?
「ルーアン大聖堂」の連作は、クロード・モネが1890年代初めに描いたシリーズです。モネはルーアンの大聖堂の正面を、構図は同じまま時間帯や天候を変えて何度も描き、朝の光、昼の陽光、夕暮れの色合いを使い分けました。石造りの建築物が光によって刻々と色を変えていく様子が、連作の大きなテーマになっています。同じ対象でも光の条件によって見え方が変わるという印象派の考え方を、体系的に示した代表的なシリーズとして知られています。
Q4 : 点描法で「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を描いた画家は?
「グランド・ジャット島の日曜日の午後」は、ジョルジュ・スーラが1884年から1886年にかけて制作した大作です。小さな色の点を並べて画面を構成する「点描法」を用い、見る人の目の中で色が混ざって見えるという光学理論を応用しました。印象派が取り入れた筆触分割の考えをさらに発展させたこの手法は、新印象派と呼ばれる流れを生み出しました。セーヌ川の中州で憩う人々を整然とした構図で描いたこの作品は、現在アメリカのシカゴ美術館に所蔵されています。
Q5 : エドガー・ドガが好んで描いた主題は?
エドガー・ドガは、バレエの踊り子や競馬の場面を数多く描いたことで知られています。舞台の袖や稽古場で動く踊り子たちを、斜めの構図や大胆な切り取り方で捉え、瞬間の動きを鮮やかに表現しました。ドガも印象派展に参加しましたが、戸外の風景を主に描いたモネとは異なり、都市の室内や人工的な空間を好んで描きました。素描やパステル画にも優れた作品を残しており、人物の動きを捉える確かな観察力が高く評価されています。
Q6 : 印象派のグループ展は全部で何回開かれた?
印象派のグループ展は、1874年に第1回が開かれてから1886年まで、全8回開催されました。参加する画家は回によって入れ替わり、メンバーの構成や方針の違いも生じましたが、独立した展覧会を自分たちの手で開くことに大きな意味がありました。当時の公式展であるサロンの審査に頼らず、自分たちの作品を発表する場を確保したことが画期的でした。この展覧会を継続したことで、印象派という運動が社会に知られ、後の近代絵画の流れにつながっていきました。
Q7 : 印象派が重視した「戸外制作」を表す言葉は?
印象派の画家たちは、アトリエの中ではなく戸外でキャンバスに向かい、その場の光と空気を直接描く「戸外制作(プレネール)」を重視しました。太陽の位置や天候によって刻々と変わる色彩を素早く捉える必要があったため、筆触は短く、色は混ぜすぎずに置くように描かれることが多くなりました。チューブ入りの絵の具が普及したことも、戸外で手軽に描くことを後押ししました。従来の緻密な下絵と陰影による描写とは異なるこのアプローチが、印象派の大きな特徴のひとつです。
Q8 : クロード・モネが晩年に「睡蓮」の連作を描いた庭はどこにある?
「睡蓮」の連作は、クロード・モネが晩年を過ごしたノルマンディー地方のジヴェルニーの自宅の庭で描かれました。1890年代に入ってから庭に睡蓮の池を造り、そこに映り込む空や木々の反射、水面の揺らぎを生涯にわたって描き続けました。1910年代以降は白内障の影響も受けて色の見え方が変化していきますが、それでも光と水の一瞬の印象を追い求める姿勢は変わりませんでした。現在もパリのオランジュリー美術館の睡蓮の間などで作品を見ることができ、モネの後期の到達点とされています。
Q9 : 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」を描いた画家は?
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は1876年にピエール=オーギュスト・ルノワールが描いた作品です。パリのモンマルトルにあったダンスホールで、日曜の午後に集まる若者たちが語らったり踊ったりする様子を、明るい色彩と柔らかな筆致で捉えています。人物の顔や衣服の上に木漏れ日が斑点のように散らばり、光の揺らぎそのものが画面に描き込まれています。都市に暮らす人々の日常の楽しさを伝える印象派らしい代表作で、現在はパリのオルセー美術館に所蔵されています。
Q10 : 印象派という名前の由来となった作品は?
「印象、日の出」は1872年にクロード・モネが描いた作品で、ル・アーヴル港の朝の霧と昇る太陽を、輪郭をぼかした荒いタッチで表現しています。1874年に開かれた最初の印象派展にこの作品が出品されると、批評家ルイ・ルロワが風刺記事の中で「印象を描いただけの習作にすぎない」と皮肉を込めて呼び、それが「印象派」という名称の始まりになりました。つまりこの呼び名は、もともと批判として生まれた言葉です。画家たちはやがてこの名称を受け入れ、自分たちのグループを表す名として使うようになりました。
まとめ
いかがでしたか? 今回は印象派クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は印象派クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。