懐かしい昭和の名曲から、美空ひばりや坂本九、八代亜紀など時代を代表する歌手たちのヒット曲にまつわる雑学を集めた全10問のクイズです。作詞作曲の裏話や記録的な出来事など、歌謡曲ファンならきっと楽しめる内容ばかり。あなたはいくつ正解できるでしょうか。さっそく挑戦してみましょう。
Q1 : 寺尾聰が1981年に発表し、同年のオリコン年間シングルチャートで1位を獲得した代表曲は何か?
「ルビーの指環」は1981年に寺尾聰が発表した曲で、作詞松本隆、作曲と編曲は寺尾聰自身が手がけた。別れた恋人への未練を描いた大人のラブソングとして人気を集め、1981年のオリコン年間シングルチャートで1位を獲得する大ヒットとなり、寺尾聰を代表する一曲として知られている。
Q2 : 久保田早紀が1979年に発表し、シルクロードを思わせる異国情緒ある曲調で知られる代表曲は何か?
「異邦人」は1979年に久保田早紀が発表した曲で、本人が作詞作曲を手がけたデビュー曲である。砂漠や隊商を思わせる旋律と歌詞が特徴で、当時のシルクロードブームとも重なって大ヒットとなり、久保田早紀のデビュー曲でありながら代表曲としても広く知られている。
Q3 : 森田公一とトップギャランが1976年に発表し、「真ん中は道に迷っているばかり」という歌詞で知られる曲は何か?
「青春時代」は1976年に森田公一とトップギャランが発表した曲で、森田公一が作曲、阿久悠が作詞を手がけた。「青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」という歌詞が特に有名で、揺れ動く学生時代の心情を描いた内容が多くの世代の共感を呼び、長く歌い継がれる昭和の名曲となった。
Q4 : 美空ひばりが1952年に発表した「お祭りマンボ」は、神田祭の情景を当時流行していたどのリズムに乗せて歌った曲か?
「お祭りマンボ」は1952年に美空ひばりが発表した曲で、神田祭を舞台にした賑やかな歌詞を当時流行していたマンボのリズムに乗せて歌った楽曲である。和風の祭りの情景と洋楽のリズムを組み合わせたユニークな構成で人気を集め、美空ひばりの軽快な一面を示す曲として知られている。
Q5 : ペギー葉山が1964年に発表した「学生時代」の作詞と作曲を一人で手がけたのは誰か?
「学生時代」は1964年にペギー葉山が発表した曲で、平岡精二が作詞作曲の両方を一人で手がけた珍しい楽曲である。教会の見える学生時代を懐かしむ歌詞が特徴で、落ち着いた旋律とともに学生時代を過ごした世代から長く親しまれ続け、ペギー葉山を代表する一曲として知られている。
Q6 : 川の流れのように」は美空ひばりの代表曲として知られるが、この曲の作詞を手がけたのは誰か?
「川の流れのように」は1989年に発売された美空ひばりの代表曲で、作詞は秋元康、作曲は見岳章が手がけた。人生を川の流れにたとえた歌詞が多くの人の共感を呼び、ひばりは発売から約半年後の1989年6月に亡くなったため、事実上の遺作としても知られる。現在も多くの歌手にカバーされ続ける昭和を代表する名曲である。
Q7 : 1961年に「上を向いて歩こう」を発表し、1963年に英語詞の「SUKIYAKI」として全米ビルボードホット100で1位を獲得した歌手は誰か?
坂本九が1961年に発表した「上を向いて歩こう」は、作詞永六輔、作曲中村八大による楽曲で、悲しい時にも上を向いて歩くという内容の歌詞が特徴である。1963年に「SUKIYAKI」という曲名で全米ビルボードホット100の1位を獲得し、日本語楽曲として唯一この快挙を成し遂げたことで世界的にも知られている。
Q8 : 石川さゆりの代表曲で、津軽海峡を渡るフェリーの中での別れを描いた演歌「津軽海峡・冬景色」が発売されたのは何年か?
「津軽海峡・冬景色」は1977年に発売された石川さゆりの代表曲で、作詞阿久悠、作曲三木たかしによる演歌である。津軽海峡を渡る連絡船の中で別れを決意した女性の心情を描いた歌詞が印象的で、発売から長く愛され続け、石川さゆりを代表する不朽の名曲として現在も歌われている。
Q9 : 1975年に子門真人が歌い、約453万枚を売り上げてオリコン史上最高のシングル売上枚数を記録した曲は何か?
「およげ!たいやきくん」は1975年に子門真人が歌ったアニメ番組の挿入歌で、鉄板から逃げ出したたいやきの悲喜劇を描いた歌詞が話題となった。約453万枚を売り上げてオリコン史上最高の売上記録を樹立し、この記録は現在も破られていない伝説的な大ヒット曲として知られている。
Q10 : 八代亜紀の代表曲「舟唄」の歌詞で、主人公の男が友として過ごしているとされているものは何か?
「舟唄」は1979年に発表された八代亜紀の代表曲で、作詞阿久悠、作曲浜圭介による演歌である。お酒とさかなと女を友とし、しみじみと夜を過ごす男の心情を描いた歌詞が特徴で、落ち着いた渋い世界観がファンの心をつかみ、八代亜紀を代表する名曲として定着した。
Q11 : 『また逢う日まで』の代表歌手は誰か?
『また逢う日まで』は1971年に尾崎紀世彦が歌って大ヒットした楽曲で、彼の代表曲の一つとして広く知られています。ソウルフルな歌唱と印象に残るメロディで、多くのリスナーの心を掴みました。発表当時はラジオやテレビで頻繁に取り上げられ、尾崎の名前を世に知らしめた曲として位置づけられています。長年にわたって歌い継がれてきた日本の歌謡曲の名曲です。
Q12 : 『勝手にしやがれ』を歌ったのは誰か?
『勝手にしやがれ』は沢田研二(ジュリー)が歌った楽曲で、彼のソロ歌手としての象徴的なナンバーのひとつです。沢田研二は元ザ・タイガースのメンバーとしても知られ、その後のソロ活動で個性的なステージングとカリスマ的な存在感を示しました。この曲はロック調のアレンジと独特の歌詞で注目を集め、沢田の代表曲として長く愛されています。
Q13 : 『つぐない』の日本語版でヒットした歌手は誰か?
『つぐない』はテレサ・テン(鄧麗君)の日本語でも知られる代表的なヒット曲の一つです。テレサ・テンは日本語、北京語、広東語などで歌唱し、アジア各地で幅広い人気を博しました。日本語版のリリースでも大きな反響を呼び、彼女のしっとりとした歌唱は日本のリスナーにも深く受け入れられました。感情を抑えた中にも力強さを感じさせる表現が、この曲の魅力を高めています。
Q14 : 『喝采』で知られる歌手は誰か?
『喝采』はちあきなおみの代表曲で、1970年代に発表されると大きな反響を呼びました。哀愁を帯びたメロディと情緒あふれる歌詞を、ちあきなおみの独特の声質と表現力が力強く歌い上げ、多くのリスナーの心を捉えました。この曲は彼女の代名詞となり、以後も歌謡曲の名バラードのひとつとして広く支持されています。歌唱の緊張感とドラマ性が高く評価されている点が特徴です。
Q15 : 『川の流れのように』が発表された年はどれか?
『川の流れのように』は1989年に発表され、美空ひばりの代表曲の一つとして知られています。作詞・作曲は中島みゆきが手がけ、晩年の美空ひばりに贈られた深い情感をたたえた楽曲です。発表後は幅広い世代に支持され、日本の歌謡曲を代表するバラードとして定着しました。歌詞は人生の移ろいを川の流れに重ねる比喩に富み、ひばりの歌唱によって強い余韻を残す作品となっています。
Q16 : 『ルビーの指環』を歌った歌手は誰か?
『ルビーの指環』は寺尾聰が歌った代表曲で、1981年に発表されました。独特の低めの歌声とジャジーなアレンジが特徴で、寺尾のソロ歌手としての地位を確立した楽曲です。発表当時、多くのラジオやテレビで取り上げられヒットし、現在でも昭和歌謡を代表する名曲の一つとして親しまれています。歌詞とメロディの印象的な組み合わせが広く記憶されている点がこの曲の魅力です。
Q17 : 「UFO」をヒットさせたユニットはどれか?
「UFO」はピンク・レディーが1977年にリリースして大ヒットさせた楽曲です。ピンク・レディーは1970年代後半に一連のヒット曲を飛ばし、独特の振付と強いリズム感で一躍トップアイドルユニットとなりました。「UFO」はダンスナンバーとしての完成度が高く、当時のポップ/歌謡界におけるディスコ的な要素を取り入れた代表作です。テレビでのパフォーマンスも話題を呼び、彼女たちの人気を決定づけました。
Q18 : 「上を向いて歩こう」の作曲者は誰か?
中村八大は日本の作曲家で、坂本九が歌った「上を向いて歩こう」(英語タイトル“Sukiyaki”)の作曲を担当しました。歌詞は永六輔が書き、坂本九が1961年に発表して国内外で大ヒットとなり、1963年には英語圏でも「Sukiyaki」のタイトルでヒットしてビルボードで1位を獲得しました。中村八大のメロディは日本語の抑揚と普遍的な哀愁を兼ね備えており、この曲は戦後日本のポップス史において重要な位置を占めています。作曲者としての中村の手腕が曲の国際的な共感を生んだ点が評価されています。
Q19 : 「津軽海峡・冬景色」を歌った歌手は誰か?
「津軽海峡・冬景色」は1977年に発表され、歌手の石川さゆりを代表する楽曲の一つです。演歌の王道を行く情感豊かな歌唱と、津軽地方を舞台にした寂寥感のある歌詞が印象的で、石川さゆりの代表曲として長く支持されています。リリース後は彼女のイメージを決定づける作品となり、以後の演歌歌手・聴衆にも大きな影響を与えました。歌唱力と表現力で日本の歌謡曲史に残る名曲とされています。
Q20 : 『北の宿から』を歌ったのは誰か?
『北の宿から』は歌手・都はるみの代表曲のひとつで、1970年代を代表する歌謡曲として広く知られています。都はるみの深みのある声と情感豊かな歌い回しが、作中の寂しさや哀愁を際立たせ、多くのリスナーの共感を呼びました。発表当時から長く歌い継がれており、演歌寄りの歌謡曲として歌手のキャリアを象徴する楽曲になっています。歌唱表現やメロディの良さから、カバーされることも多い曲です。