秀吉による1597年の朝鮮への再出兵を何と呼ぶ?
1597年、明との講和交渉の決裂を受けて豊臣秀吉は再び朝鮮へ大軍を派遣した。これを慶長の役と呼ぶ。加藤清正や小西行長らが再び出陣し朝鮮南部を中心に激しい戦闘が続いたが、1598年に秀吉が伏見城で死去したことをきっかけに五大老の合議により日本軍は撤退した。文禄の役とあわせて文禄・慶長の役と総称され、朝鮮側では壬辰・丁酉倭乱と呼ばれ、両国に大きな爪痕を残した戦役として記憶されている。この結果、豊臣政権の威信は大きく傷つき、諸大名の間に不満が広がったことが、秀吉の死後に徳川家康が台頭する遠因の一つになったとも指摘されている。