テオドシウス1世の勅令で途絶えていたパンクラチオンが19世紀に再び注目を集める契機となった出来事は次のうちどれでしょうか?
19世紀末の1896年、アテネで開催された最初の近代オリンピックは古代競技復興をコンセプトとしており、パンフレットや報道でパンクラチオンが紹介された。正式種目にはならなかったものの、クーベルタンらが古代資料を収集し全ての力を競う競技として再評価したことで学術界やスポーツ界の関心が一気に高まり、これを契機に研究論文や演劇、さらには軍隊格闘術への応用が議論された。以後パンクラチオンは忘れられた競技から古代ギリシア文化研究の重要テーマへと位置付けられるようになった。