ダカールラリークイズ
1979年にパリから出発し、約1万キロの距離を通ってセネガルのダカールでゴールした第1回ダカールラリー。以降、時代とともに移動先やルート、参加クラスなどが変遷を遂げ、「モータースポーツの最高峰」と称される世界最高峰のレイドラリーに成長を遂げてきた。その歴史と魅力に迫るクイズを10問ご用意しました。ラリーファンはもちろん、モータースポーツ愛好家も楽しめる内容となっています。ラリーの過去と現在をひもとくべく、思考を巡らせてみてください。
Q1 : 2020年からダカールラリーはアジア中東地域に舞台を移したが、現在その全行程が行われている国はどこか
ASOは南米各国の経済状況悪化と政治的事情により新たな開催地を模索し、サウジアラビア政府と10年契約を締結。2020年大会以降はジッダを発着点に紅海沿岸からルブアルハリ砂漠までを縦横に使ったコースが設定されている。サウジアラビアは広大な無人地帯と石油資本によるインフラ整備で長距離ステージに適し、砂丘やロッキーな谷など多彩な路面条件を提供。観光産業促進を掲げる同国の「ビジョン2030」の一環としてダカール誘致が行われ、ラリー史の新章が開かれた。
Q2 : 創設者ティエリー・サビーヌが1977年のアビジャン‐ニースラリーで迷子になり、ダカールラリー着想のきっかけとなったニジェール北東部の砂漠はどこか
ティエリー・サビーヌは1977年にサハラ横断ラリーに参戦中、GPSもない時代にニジェールのテネレ砂漠で激しい砂嵐に遭い、3日間行方不明になった。過酷さと同時に砂漠の雄大さに魅了された彼は「誰でもこの冒険を共有できるレースを作ろう」と決意し、翌1979年にパリ‐ダカールラリーを立ち上げた。テネレはシルク状の細かな砂と巨大な砂丘が特徴で“砂漠の海”とも呼ばれる過酷な環境であり、サビーヌの理念「挑戦と友情の共有」を象徴する場所となった。
Q3 : 現在のダカールラリー二輪部門(ラリーレイドGP/プロトタイプクラス)でFIM規定により認められている最大排気量はいくつか
安全性とコスト抑制を目的に、2011年からダカールラリーを含むFIMクロスカントリーラリー世界選手権では最大排気量が450cc単気筒に制限された。以前は660ccや900ccのツインも走っていたが、速度が過度に高まり事故が多発したため統一ルールが導入。これにより各メーカーは450ccの専用ラリーモデル(KTM 450 Rally、Honda CRF450 Rallyなど)を開発し、競技の技術革新はナビゲーションや燃料タンク配置、エンジン耐久性といった領域に集中するようになった。
Q4 : ダカールラリー四輪部門で三菱自動車(パジェロ/モンテロ)が記録した総合優勝回数は2023年時点でいくつか
三菱パジェロは1983年にダカール初参戦し、1985年に初ステージ勝利。1992年の初総合優勝以降、2007年までに12回の総合優勝を積み重ねた。特に2001~2007年は7連覇を達成し、四輪部門でのメーカー最多勝記録を保持している。トミ・マキネンで知られるラリーアートの技術や軽量モノコック、信頼性の高いV6ガソリンエンジンが強さの要因。現在はワークス活動を休止しているが、パジェロの黄金期は四輪部門の競争レベルを一段引き上げ、SUVブームにも大きな影響を与えた。
Q5 : 第1回ダカールラリー(1979年)のスタート地点とゴール地点の正しい組み合わせはどれか
1979年12月26日にパリのトロカデロ広場を出発した第1回ダカールラリーは、ジブラルタル海峡をフェリーで渡ってアフリカ大陸に入り、1月14日にセネガルの首都ダカールでゴールした。パリとダカールというヨーロッパとアフリカの象徴的都市を結ぶ約1万キロのルートは創設者ティエリー・サビーヌの理念を体現し、その後の大会名としても定着した。南米やサウジアラビアに舞台が移った現在でも、パリ‐ダカールの呼称はラリーレイドの代名詞として愛好家に語り継がれている。
Q6 : 現在のダカールラリーを主催している団体はどこか
ダカールラリーは2008年にテロの脅威で中止となった後も、フランスのメディア企業グループであるASOが運営を続けている。ASOは自転車のツール・ド・フランスやボートレースのヴァンデ・グローブなども手掛けるスポーツイベント運営の大手で、FIAは四輪、FIMは二輪の国際統括団体として競技規則の公認のみを行う。ASOが企画・財政・広報を一括して担うことで、南米やサウジアラビアへの大規模な開催地移転も実現した。
Q7 : ダカールラリーで“ミスター・ダカール”の異名を取り、二輪で6勝、四輪で8勝(計14勝)という最多総合優勝記録を持つ選手は誰か
フランス人のステファン・ペテランセルは1991~1998年の間にヤマハで二輪部門6勝を挙げた後、2004年からは三菱、MINI、X-Raid、アウディなどで四輪に転向しさらに8勝を積み上げた。総合14勝という圧倒的な成績から“ミスター・ダカール”と呼ばれる。二輪と四輪の双方で頂点に立ったのは数えるほどしかおらず、その適応力とナビゲーション能力はダカール史上最高と評される。現在もハイブリッド車で挑み続ける生きる伝説である。
Q8 : 2001年に四輪部門で総合優勝し、ダカールラリー史上初めて大会全体を制した女性ドライバーは誰か
ドイツ人のユッタ・クラインシュミットは1992年に二輪で初出場し、その後四輪に転向。1997年には女性として初のステージ優勝を達成し、2001年には三菱パジェロを駆り総合優勝を飾った。これは男女混合競技であるダカールにおいて女性が総合優勝した唯一の事例であり、女性参戦の象徴的存在となっている。モータースポーツ全体でも女性の世界選手権級総合優勝は稀で、彼女の偉業は現在も語り草となり、多くの女性ライダーやドライバーに道を開いた。
Q9 : モーリタニアでのテロ脅威情報により、直前になってダカールラリーが丸ごと中止となった年はいつか
2008年大会は元日にリスボンをスタートする予定だったが、12月27日にフランス政府がモーリタニアでの襲撃計画を警告。主催者ASOは参加者と観客の安全を最優先し、史上初めて大会そのものをキャンセルした。これを受けて2009年からは南米(アルゼンチンとチリ)で開催地を変更し、以後10年間にわたって南米ラウンドが続いた。2008年の中止は運営体制や安全対策を根本から見直す契機となり、ダカールのグローバル展開に大きな影響を与えた出来事として知られる。
Q10 : ダカールラリーのトラック部門で、ソビエト連邦時代を含め通算19回以上の総合優勝を誇る最多勝メーカーはどこか(2023年終了時点)
ロシアのカマズは1988年にワークス参戦を開始し、1996年に初優勝。2000年代以降はウラジーミル・チギン、エドゥアルド・ニコラエフらを擁しほぼ毎年表彰台を独占。2023年までに19回以上の総合優勝を達成し、チェコのタトラやオランダのDAF、ドイツのMANを大きく引き離している。カマズは自社製シャシーに大排気量ディーゼルエンジンを組み合わせる独自開発体制を持ち、クラス最軽量かつ高耐久を実現。恒常的なテスト走行環境とロシア国内の資金支援により王朝を築いたと評価される。
まとめ
いかがでしたか? 今回はダカールラリークイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回はダカールラリークイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。