簡単な世界史クイズにご興味をお持ちいただき、ありがとうございます。この度は、産業革命からフランス革命に至る近代史の節目となる出来事を中心に、10問のクイズをお届けいたします。産業革命の発祥地や重要人物、世界大戦の引き金、アメリカ独立など、歴史の転換点に関する知識を問います。ぜひ、この機会に皆様の世界史理解を深めていただければ幸いです。では、クイズにお進みください。
Q1 : フランス革命期に公安委員会を掌握し『恐怖政治』を主導した人物は?
1793年6月から94年7月にかけて、ジャコバン派指導者ロベスピエールは公安委員会を通じ反革命の疑いがある者を革命裁判所で大量処刑した。この恐怖政治は対外戦争と内乱の危機下で愛国心と平等理念を徹底し、封建的特権の廃止や最高価格令、徴兵制などを推進。しかし次第に独裁化し、テルミドールの反動で失脚・処刑された。ダントンは初期公安委員会の穏健派、ナポレオンは後年の軍人、マラーはジャコバン派新聞家で恐怖政治開始前に暗殺されている。
Q2 : モンゴル帝国の最大版図を築き、元を建てた皇帝は誰か?
フビライ・ハン(クビライ)はチンギス・カンの孫で、第5代モンゴル皇帝(大ハーン)。1260年即位後、中国支配を本格化し1271年に国号を元と定め、1279年に南宋を滅ぼし中国全土を統一。大都(北京)を首都とし、パクス・モンゴリカ下で東西交易を奨励しマルコ・ポーロらも来訪した。バトゥは西征でキプチャク汗国を建国、オゴタイは第2代大ハーン、アッティラは5世紀フン族王でモンゴルとは無関係。フビライの治世が領土の最盛期とされる。
Q3 : 1949年に結成された西側諸国の集団安全保障条約機構はどれか?
第二次世界大戦後、ソ連の東欧支配拡大に対抗するため1949年4月、北大西洋条約機構(NATO)がワシントンで締結された。米国・カナダと西欧10か国が加盟し、加盟国のいずれかが攻撃を受けた場合は共同防衛することを明記。朝鮮戦争やベルリン危機を経て軍事統合が進み、冷戦構造を西側から支えた。対抗して1955年にソ連主導でワルシャワ条約機構が成立。OPECは1960年設立の産油国組織、ASEANは1967年設立の東南アジア地域協力機構であり性格が異なる。
Q4 : プロイセンの宰相ビスマルクが就任したときの国王は誰か?
1862年9月、ユンカー出身のオットー・フォン・ビスマルクはヴィルヘルム1世によってプロイセン王国の首相に任命された。軍備拡張をめぐる議会との対立を「鉄血演説」で乗り切り、デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争を通じてドイツ統一を実現。ヴィルヘルム1世は1871年にドイツ皇帝即位。フリードリヒ2世(大王)は18世紀、ヴィルヘルム2世は1890年にビスマルクを辞任させた皇帝、ルートヴィヒ2世はバイエルン王でプロイセン系ではない。
Q5 : アメリカ独立宣言が採択された年は?
13植民地代表がペンシルベニアのフィラデルフィアで大陸会議を開き、トマス・ジェファーソン起草の独立宣言を1776年7月4日に採択した。文書は自然権思想を基礎にジョージ3世の専制を糾弾し、合衆国が主権国家であることを宣言。これにより独立戦争が理念的正当性を得た。1789年はフランス革命と合衆国憲法発効、1804年はハイチ独立およびナポレオン即位、1812年は米英戦争の年であり、独立宣言とは直接関係しない。
Q6 : 1498年に喜望峰を回りインド・カリカットに到達し、インド航路を開いたポルトガル人は?
ヴァスコ・ダ・ガマは1497年リスボンを出航し、喜望峰を越えてアフリカ東岸のスワヒリ諸都市を経由し、1498年インド西岸カリカットへ到達した。この航海により香辛料ルートが陸上のイスラム商人を介さずに直接結ばれ、ポルトガルはインド洋交易支配を開始。海上帝国エスタド・ダ・インディア建設へつながり、リスボンは東方貿易の中心へ躍進した。コロンブスは西回りでアメリカ到達、マゼランは世界周航、ディアスは喜望峰到達のみで帰還している。
Q7 : ローマ帝国のパクス・ロマーナ(ローマの平和)の始まりとされる初代皇帝は誰か?
紀元前27年、オクタウィアヌスは元老院から尊号アウグストゥスを受け、初代ローマ皇帝となった。彼は軍制改革と属州統治の整備、道路網拡充、貨幣統一などを断行し、約200年続くパクス・ロマーナの基盤を築いた。内乱の一世紀で疲弊した地中海世界は治安と交易の安定を取り戻し、文化・建築が開花。コンスタンティヌスは4世紀のキリスト教公認、ディオクレティアヌスは3世紀末の専制君主制、ネロは1世紀の暴君として知られ、時期も役割も異なる。
Q8 : 1914年に第一次世界大戦勃発の直接の引き金となった事件は何か?
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻がボスニアのサラエボでセルビア系青年ガヴリロ・プリンツィプに暗殺された事件をサラエボ事件と呼ぶ。帝国はセルビアを背後で支援するロシアに最後通牒を出し、同年7月28日に宣戦布告。同盟関係が連鎖してドイツ、フランス、イギリス、ロシアなどが参戦し、世界大戦へ発展した。スペイン内戦は1936年、ボストン茶会事件は1773年、武昌起義は1911年清末の出来事であり時期も内容も異なる。
Q9 : ルネサンス期にフィレンツェを実質的に支配し、芸術家を多くパトロンとした名門一族は?
15世紀のフィレンツェ共和国で銀行業と羊毛業で財を成したメディチ家はコジモ、ロレンツォらの時代に事実上の君主として政治を主導した。莫大な資金でダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリらを援助し、人文主義の温床を提供。美術品収集や建築事業はルネサンス文化の象徴となり、教皇クレメンス7世など教皇も輩出。対してハプスブルク家は神聖ローマ帝国、ブルボン家はフランス、ロマノフ家はロシア支配の王家であり、フィレンツェとは直接関係しない。
Q10 : 18世紀半ばに始まった産業革命が最初に起こった国はどこか?
産業革命は1760年代のイギリスで綿工業の機械化から本格化した。飛び杼や水力紡績機を経て、ワットの改良蒸気機関が動力革命をもたらし、石炭・鉄の需要が急増した。囲い込みで土地を失った農民が都市へ流入し労働力を供給、広大な植民地市場と海運力が製品販路を保証した。交通革命として蒸気機関車や鉄道も整備され、イギリスは「世界の工場」として覇権を築いた。これがベルギーやフランス、ドイツ、アメリカへ波及し近代世界経済の礎となる。
まとめ
いかがでしたか? 今回は簡単な世界史クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は簡単な世界史クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。