二・二六事件は、昭和11年(1936年)2月26日に発生した日本史上有数のクーデター事件です。陸軍の青年将校らが政府要人を襲撃し、天皇親政の実現や政財界の刷新を要求しました。この事件の年号や主導勢力、被害者、結果など、当時の状況を問う10問のクイズを用意しました。二・二六事件について理解を深めるよい機会となれば幸いです。
Q1 : 二・二六事件はどの都市で主に発生したか?
二・二六事件は、主に東京市(現在の東京都区部)で発生したクーデター事件です。中央官庁や政府要人の自宅が襲撃され、市街の一部が占拠されました。他都市では発生していません。東京市が正解です。
Q2 : 二・二六事件後、日本の政治体制はどのように変化したか?
二・二六事件以降、軍部・特に陸軍の発言力は増し、政治的にも軍部主導が進みました。政党政治は衰退し、軍部による内閣指名や政府の主導が顕著となります。天皇親政や民主主義化ではありません。
Q3 : 二・二六事件の結果、革新派の軍人たちが直面した処罰は何か?
事件の首謀者や主要参加者は軍法会議によって裁かれ、多数が死刑や無期懲役などの重刑に処せられました。これは軍規の維持および「皇軍」内の統制を守るためでもありました。国外追放や恩赦、昇進は与えられていません。
Q4 : 二・二六事件の後、政府が発した緊急命令として正しいものはどれか?
事件発生直後、東京市(現・東京都区部)には戒厳令が発せられました。これにより軍による治安維持が正当化され、クーデター勢力の排除や市民の行動制限が行われました。他の選択肢はいずれも二・二六事件時に発されたものではありません。
Q5 : 二・二六事件の首謀者が信奉した政治思想は何か?
青年将校らは「昭和維新」という政治運動を信奉しており、天皇中心の統治の実現と、既存の政治・財界の刷新を求めていました。天皇退位論や共和主義、社会主義革命などを唱えたわけではありません。
Q6 : 二・二六事件で鎮圧命令を出した天皇は誰か?
二・二六事件が発生した1936年時点の天皇は昭和天皇(裕仁)です。事件勃発後、昭和天皇は青年将校たちの要求を厳しく拒否し、鎮圧命令を出しました。大正・明治天皇はいずれも在位していません。
Q7 : 二・二六事件の際、青年将校たちの最大の主張は何だったか?
青年将校たちの主張は、「昭和維新」と呼ばれる天皇親政の実現、そして腐敗した政党政治や財閥の粛清でした。軍備の拡張派で、軍備削減には反対でした。共産主義革命や天皇退位は主張していません。天皇親政の実現こそが主張の核心です。
Q8 : 二・二六事件で殺害された大蔵大臣は誰か?
二・二六事件で青年将校らによって暗殺された大蔵大臣は高橋是清です。彼は軍部の予算削減などを進めていたため、標的にされました。斎藤実(内大臣)、渡辺錠太郎(教育総監)も襲撃または殺害されていますが、大蔵大臣は高橋是清です。近衛文麿は襲撃を受けていません。
Q9 : 二・二六事件を主導した勢力は何か?
二・二六事件は、主に陸軍の青年将校たち(皇道派)が中心となって計画・実行されたクーデターです。彼らは政財界や軍内部の刷新、昭和天皇による親政実現を主張し、政府要人への襲撃・占拠などの行動に出ました。他の選択肢は本事件を主導した集団ではありません。
Q10 : 二・二六事件が発生した年はどれか?
二・二六事件は、昭和11年(1936年)2月26日に発生しました。陸軍の青年将校らがクーデターを起こし、政府要人を襲撃した日本史上有数の事件です。その年号はこの事件の呼称にもなっています(2月26日=二・二六)。そのため、1936年が正解です。他の選択肢は異なる年であり、事件の発生年と一致しません。
まとめ
いかがでしたか? 今回は二・二六事件クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は二・二六事件クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。