江戸幕府が「鎖国政策」を本格的に開始したとされる将軍は誰か?江戸時代を通じ、日本と海外の交流が厳しく制限された「鎖国政策」。その政策の歴史的な転換点を問う10問のクイズをご用意しました。徳川家光の時代に体系化された鎖国政策の概要と、その背景にある幕府の意図などについて、クイズを通じて学んでいただければと思います。
Q1 : 鎖国政策は何という出来事の後に強化されたか?
島原・天草一揆(1637-38)は、キリスト教徒や農民が参加した大規模な反乱で、幕府はこの出来事をきっかけにキリスト教への弾圧と鎖国政策の強化を進めました。その後、港の制限や海外渡航禁止、外国船の取り締まりが徹底されました。
Q2 : オランダ商館が平戸から移された場所はどこか?
1641年、江戸幕府はオランダ商館を平戸から長崎出島へ移しました。これによりオランダとの貿易は出島で厳格に監視されて行われるようになります。出島は長崎港内の埋立てによる人工島です。
Q3 : 鎖国政策下、唯一日本人の出国が例外的に認められていた人々は?
鎖国時代にあっても、特例として琉球王国の使節は日本から中国への朝貢のための往来が認められていました。幕府使節団や長崎商人は原則として海外渡航は禁止されていました。
Q4 : 鎖国政策を象徴する江戸幕府の命令として知られるのは?
鎖国政策は「海禁令」(かいきんれい)などの法令で体現されました。幕府は法令を重ねて海外との交流を制限しましたが、「鎖国令」という法令は存在せず、正式には「海禁令」や「異国船来航禁止令」などです。
Q5 : 鎖国開始直後、海外渡航や帰国を禁止した理由の一つは何か?
幕府が鎖国政策の一環として海外渡航や帰国を厳しく禁じた主な理由は、キリスト教の拡大を防止するためです。渡航者や帰国者による布教活動を恐れ、国の統治が脅かされると考えていました。特に、島原・天草一揆後はその傾向が強まりました。
Q6 : 鎖国時代に唯一外国船の入港が許された北海道の港はどこか?
松前は江戸時代、蝦夷地(北海道)でロシアとの接触があったため、幕府からの監視と交易の許可が一部認められました。特にアイヌと和人の交易が行われています。箱館や根室は近世末期の開港地です。
Q7 : 1639年に来航が禁止されたヨーロッパの国はどこか?
1639年、江戸幕府はポルトガル船の来航を全面的に禁止しました。その背景には、カトリック宣教師によるキリスト教の布教活動に対する警戒心がありました。一方、イギリスやロシアはそもそも貿易から撤退、もしくは後の時代に関与しています。
Q8 : 鎖国政策下で中国と貿易を行っていた港はどこか?
江戸幕府は中国(明・清)との貿易を限定的に認めており、その貿易港は長崎だけでした。中国船は唐船として長崎に入港し、指定商人を通じて交易が行われていました。下田は開国時の条約港、堺や大阪は国内流通の拠点でした。
Q9 : 鎖国下の日本で唯一ヨーロッパとの交流を許された国はどこか?
江戸時代の鎖国政策のもと、唯一日本と公式な貿易を許されたヨーロッパの国はオランダでした。1641年にポルトガル船の来航が禁止され、オランダ東インド会社は長崎の出島に移され、限定的な通商が行われていました。他のヨーロッパ諸国との交流は認められていませんでした。
Q10 : 江戸幕府が「鎖国政策」を本格的に開始したとされる将軍は誰か?
鎖国政策の本格化は徳川家光の時代(3代将軍)に進められました。家光の治世下で1635年に奉書船制度が設けられ、1639年にはポルトガル船の来航が禁止されるなど、海外との交流が厳しく制限されます。家康と秀忠の時代にもキリスト教禁止令や一部制限はありましたが、家光の時代にシステムとして固まりました。
まとめ
いかがでしたか? 今回は鎖国の開始クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は鎖国の開始クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。