文楽は、人形を操り、義太夫節の音楽に乗せて物語を演じる芸能です。創始から300年以上の歴史を持ち、人間離れした技術と独特の世界観で観客を魅了し続けています。今回のクイズでは、文楽の語り手・人形遣い・楽器など、この伝統芸能の基本的な知識を問います。文楽の奥深い世界を探るとともに、この演劇芸術の魅力を再発見する機会になれば幸いです。
Q1 : 人形遣いが存在感を消すために着用する黒づくめの装束を何と呼ぶか?
文楽では主遣い以外の遣い手が黒衣と呼ばれる黒頭巾と黒衣を着用し、演技上“見えない存在”として扱われる。主遣いが顔出しのときも、左遣いと足遣いは黒衣のままなので、観客は自然と人形に注目できる。瓦版は江戸期の新聞、隈取は歌舞伎の化粧法、横内は舞台袖を示す言葉で、いずれも文楽の黒装束を指す語ではない。黒衣は歌舞伎でも用いられるが、文楽では特に重要な裏方の象徴である。
Q2 : 義太夫節の創始者として知られ、1684年に竹本座を開いた人物は誰か?
竹本義太夫は17世紀後半に語り芸を革新し、力強い節回しと写実的な物語性を備えた義太夫節を創唱した。大阪道頓堀に竹本座を構え、近松門左衛門らと組んで数々の名作を上演し、のちの文楽の基礎を築いた。豊竹山城少掾や豊竹呂太夫は後に義太夫節を継いだ流派の語り手で、竹本津太夫も同様に後代の名跡であり、創始者ではない。
Q3 : 近松門左衛門作『冥途の飛脚』で、手形金を横領して恋仲の遊女を救おうとする主人公・忠兵衛の職業は何か?
忠兵衛は大阪の飛脚問屋である亀屋の養子で、公金を扱う立場にあった。物語では彼が手形金の期日を守れず遊女梅川を身請けするために金を使い込み、追い詰められて最終的に心中へ向かう。飛脚問屋は公金や手形を預かり諸国に届ける重要な物流兼金融の職種であり、その信頼が生命線となる。主人公がその信頼を裏切ることで社会的制裁と道徳的葛藤が重なり、世話物の悲劇性がいっそう深まる。酒屋や大工、侍は劇中で忠兵衛と無関係である。
Q4 : 2003年に『人形浄瑠璃文楽』がユネスコで無形遺産として顕彰された際の正式な称号はどれか?
ユネスコは2003年に人形浄瑠璃文楽を第三回選定の『人類の口承及び無形遺産の傑作』として宣言した。これは2008年に設けられた無形文化遺産代表一覧表の前身にあたる制度で、世界文化遺産や記憶遺産とは区別される。緊急保護無形遺産リストは危機に瀕した伝統の迅速保護を目的とする別カテゴリーであり、文楽は対象外だった。よって当初の称号は口承及び無形遺産の傑作である。
Q5 : 文楽で物語を語り、登場人物全ての台詞や地の文を担当する語り手を何と呼ぶか?
太夫は浄瑠璃の語り部であり、舞台下手に設置された床と呼ばれる高座に座って物語を語る。登場人物の声色を使い分け、心情や情景を一手に表現するため高い技量が要求される。謡い手は能楽の語り手、浄瑠璃師は古い用語、傀儡子は中世の人形遣いで、文楽の正式な役割名ではない。
Q6 : 文楽の人形は通常、主遣い・左遣い・足遣いの何人で操られるか?
文楽の人形は三人遣いが基本で、主遣いが頭と右手、左遣いが左手、足遣いが両足を受け持つ。三人が息を合わせることで人形に豊かな表情と繊細な動きを与え、人間に迫る存在感を生み出す。二人遣いや一人遣いの時代もあったが十八世紀半ば以降は三人遣いが主流となり、四人で遣うことは特殊な演出を除き行われない。
Q7 : 太夫が座り三味線方とともに義太夫節を奏する、舞台下手側の高座を何と呼ぶか?
床は語りと三味線が並んで座る場所で、舞台と客席のすぐ横に設置されるため、観客は物語を語る声と演奏を間近に感じることができる。床は作品によって片床や舟床など形状が変わることもあり、語座や箱座は他芸能の呼称、文楽棚は通称で正式名称ではない。床という名称は浄瑠璃発祥の頃から用いられ、文楽独自の音楽空間を示す重要な語である。
Q8 : 世話物の名作『曽根崎心中』を執筆した江戸時代の劇作家は誰か?
『曽根崎心中』は1703年に大阪竹本座で初演された傑作で、作者は近松門左衛門である。近松は武家物から世話物まで多彩な作品を残し、登場人物の心理を写実的に描いたことで人形浄瑠璃を発展させた。井上ひさしは現代の劇作家、近松半二は門左衛門とは別人で十八世紀後半の作家、菅専助はさらに古い時代の作者でいずれも本作の作者ではない。
Q9 : 義太夫節で用いられ、重厚な低音が特徴の三味線の棹の太さはどれか?
義太夫節には胴が大きく棹が最も太い太棹三味線が使われる。太い棹と太い糸により迫力ある音量と深い余韻を生み、語りと拮抗するサウンドを支える。中棹は常磐津や清元、細棹は長唄や地歌などで使用される。五線棹という種類は存在せず、義太夫節の独特の響きは太棹でなければ出せないとされる。
Q10 : 大阪・日本橋に建つ国立文楽劇場が開場したのは西暦何年か?
国立文楽劇場は1984年に開場し、文楽をはじめ上方芸能の発信拠点となった。旧竹本座跡に近い大阪ミナミに位置し、約753席の大ホールと300席弱の小ホールを備える。設計は大阪出身の建築家・磯崎新で、外観には格子や瓦など和の意匠を取り入れつつモダンな構成をとる。1979年は基本計画段階、1990年は大規模改修前、1966年は国立能楽堂構想が動き出した頃で正解ではない。
まとめ
いかがでしたか? 今回は文楽鑑賞クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は文楽鑑賞クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。