パン・クラチオンクイズ
古代オリンピックでパンクラチオンが正式競技として初めて採用されたのは紀元前648年の大会です。この大会は第33回オリンピックに当たります。パンクラチオンはレスリングと拳闘の長所を兼ね備えた総合格闘技として人気を集め、優勝者には各都市国家から特典が与えられていました。
このクイズでは、パンクラチオンの歴史や特徴、さらには近代スポーツへの影響などについて、10問ご用意しました。古代ギリシアの格闘技文化に関する知識を深めていただければと思います。
Q1 : 次のうち、古代パンクラチオンと現代の総合格闘技(MMA)との相違点について誤っている記述はどれでしょうか?
古代パンクラチオンでは噛みつきは明確に反則であったため、噛みつきが許可されていたという記述は誤りである。手を保護するグローブは用いられず素手で行われ、試合が自然に決着するまで続くため近代格闘技のような時間制のラウンドは存在しない。また競技場は土の地面で囲いもなく、ケージやロープは近代になってから安全管理のため採用されたものである。したがって選択肢3のみが事実に反する説明となる。
Q2 : テオドシウス1世の勅令で途絶えていたパンクラチオンが19世紀に再び注目を集める契機となった出来事は次のうちどれでしょうか?
19世紀末の1896年、アテネで開催された最初の近代オリンピックは古代競技復興をコンセプトとしており、パンフレットや報道でパンクラチオンが紹介された。正式種目にはならなかったものの、クーベルタンらが古代資料を収集し全ての力を競う競技として再評価したことで学術界やスポーツ界の関心が一気に高まり、これを契機に研究論文や演劇、さらには軍隊格闘術への応用が議論された。以後パンクラチオンは忘れられた競技から古代ギリシア文化研究の重要テーマへと位置付けられるようになった。
Q3 : 古代オリンピックでパンクラチオンが正式競技として初めて採用されたのは紀元前648年の大会ですが、これは第何回オリンピックに当たるでしょうか?
紀元前648年大会はオリンピア祭の第33回に当たる。第1回を紀元前776年とし4年を1周期で数えると128年後が33回目になるためである。この大会でパンクラチオンはレスリングと拳闘の長所を兼ね備えた総合格闘として正式採用され、瞬く間に観客の人気を集めた。以後は少年部門も設けられ、優勝者にはオリーブ冠と共に都市国家から年金や税免除などの恩典が与えられたことが文献から確認できる。
Q4 : 古代パンクラチオンで唯一明確に禁止されていたと古代文献に記される二つの反則はどれとどれでしょうか?
パンクラチオンはほぼ何でもありの競技として知られるが、フィロストラトスやパウサニアスの記述によると噛みつきと眼球えぐりだけは古代でも危険過ぎるとして明確に禁止されていた。審判は柳のむちを持ち、これらの行為を見つければ即座に打って罰した。他の関節技や締め技は許可され、観客も選手の肉体的限界を見るのを楽しんだと報告されている。噛みつきと眼球攻撃が禁じられた事実は、競技が無秩序ではなく一定の安全配慮があったことを示す貴重な証拠である。
Q5 : パンクラチオンという語はギリシア語のパンとクラトスに由来しますが、その語義として最も近いものはどれでしょうか?
パンは全てを意味し、クラトスは力や支配を指すため、合わせて全ての力という意味になる。語源学的にはパンクラトスが原形で、転じてあらゆる力を用いる競技としてパンクラチオンの名称が定着した。古代ではレスリングのグラップリングと拳闘の打撃を融合し、さらには関節技や絞め技なども駆使できることから、何でも使うという語義が競技内容にぴったり合致したと考えられる。今日の総合格闘技MMAの先駆と呼ばれる所以でもあり、語源はその包括性を端的に物語っている。
Q6 : 競技中に失神、あるいは死亡しながらも相手を先に降参させたため勝者となり、死後に戴冠されたパンクラチオン選手として知られる人物は誰でしょうか?
フィガリアのアリキオンは紀元前564年の大会で相手の足を締め上げながら絞め技を受け、気管が折れて絶命したと伝えられる。しかし同時に相手は激痛に耐えきれず先に降参の合図をしたため、審判はアリキオンを勝者と宣告した。師匠や観客は遺体を競技場から担ぎ、死者にオリーブ冠を授与したという逸話はパウサニアスの記述に残る。この物語は勇気と栄誉を象徴し、ギリシア人の間で伝説的英雄譚として語り継がれ、後世の文学や演劇の題材にもなった。
Q7 : 近代オリンピックでパンクラチオンが正式種目として復活しなかった最も大きな理由として適切なものはどれでしょうか?
クーベルタン男爵らが近代オリンピックを計画した当時、パンクラチオンの復活も検討されたが、打撃と関節技が混在するため重傷や失明のリスクが高く、安全基準や防具の統一ルールを短期間で整備するのは難しいと判断された。レスリングやボクシングは比較的ルールが固定化されていたため早期採用されたが、パンクラチオンは危険度の高さから除外された経緯がIOC議事録に記録されている。20世紀後半に競技性を近代化する試みは続いたが、依然として安全面の問題が障壁となった。
Q8 : 古代のパンクラチオンの激闘を題材にした彫刻として、ローマ時代の複製がバチカン美術館に収蔵されている作品の通称はどれでしょうか?
バチカン美術館に所蔵されるパンクラティアスト像は2人の選手が組み合う姿を写実的に表現したローマ時代の大理石複製で、原作は紀元前3世紀頃のヘレニズム期ブロンズと考えられる。筋肉の緊張や皮膚の食い込みが精緻に刻まれており、パンクラチオン特有の組技と打撃の混在が一目で分かる点が高く評価される。発見当初は解剖学的正確さからミケランジェロにも賞賛されたと伝えられ、古代格闘技研究の重要な視覚資料となっている。
Q9 : 古代ギリシアでパンクラチオンが行われた屋外競技場の床は、主にどのような素材で覆われていたでしょうか?
パウサニアスや考古学的調査によれば、古代のパライストラやスタディオンの床は粘土質の土に砂を混ぜて平らに突き固めたものが一般的だった。適度なクッション性があるため転倒時の衝撃を緩和し、同時に選手の足裏の摩擦を確保した。木板や大理石は雨で滑りやすく危険で、青銅製は製作費が莫大なため実用性が薄い。土と砂の床は簡単に整備でき、試合後に表面をならすだけで次の競技に備えられる実用的な方法だったことが発掘跡からも裏付けられている。
Q10 : アレクサンドロス大王が兵士の近接戦闘訓練に取り入れたと歴史家アリアノスが記す格闘術はどれでしょうか?
マケドニア軍の訓練法を記したアリアノスやプルタルコスの記録には、兵士が徒手格闘の総合技能を磨くためパンクラチオンを学んだとある。レスリング単独よりも打撃と関節技を併用するため戦場での応用範囲が広く、短剣や槍を失った際にも対応できると評価された。さらに精神的鍛錬としても効果が高いとされ、アレクサンドロス自身も幼少期にライサンドロスから指導を受けたとの伝承が残る。これらの記述はパンクラチオンが単なる競技を超えた実戦武術でもあったことを示している。
まとめ
いかがでしたか? 今回はパン・クラチオンクイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回はパン・クラチオンクイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。