オリンピックの歴史を振り返る10問のクイズに挑戦しましょう。近代オリンピックの起源から日本の参加、メダル獲得数の推移まで、オリンピックの魅力を凝縮した内容となっています。五輪の精神と伝統を感じながら、クイズを通じてあなたのオリンピック知識を試してみてください。オリンピックの歴史に精通した専門家も納得の出題となっているはずです。過去の大会や選手たちの感動的なエピソードを振り返り、スポーツの素晴らしさを再発見する良い機会となるでしょう。
Q1 : 日本が獲得した夏季大会での総メダル数が史上最多となった大会はどれ?
日本は2020年東京大会(開催は新型コロナで2021年に延期)で金27、銀14、銅17、合計58個を獲得し、過去最多記録を更新した。自国開催の1964年東京大会では16金を含む29個、アテネ2004では37個、リオ2016では41個だったが、東京2020では新規採用競技やサーフィン・スケートボードなど若者競技、柔道や競泳など伝統強化競技で金が量産された。無観客開催や厳格な防疫措置という前例のない環境下でも選手は最高のパフォーマンスを発揮し、開催賛否が渦巻く中でスポーツの意義を国内外に示した大会と言える。
Q2 : 夏季オリンピックを最も多く開催している国はどこ?
アメリカ合衆国は1904年セントルイス、1932年ロサンゼルス、1984年ロサンゼルス、1996年アトランタと、史上最多となる4回夏季オリンピックを開催している(2028年ロサンゼルスが決定済みで5回目になる予定)。セントルイス大会では万国博覧会併設で長期開催、1932年には世界恐慌下でも革新的運営を行い、1984年には民間資本中心の黒字運営モデルを確立した。アトランタでは商業化批判もあったが巨大興行として成功し、米国のスポーツビジネスの強さを示した。フランスと日本はそれぞれ2回、ギリシャも2回だがアメリカには及ばない。
Q3 : オリンピック選手宣誓が初めて行われた大会はどれ?
選手宣誓は公平な競技とルール尊重を誓う儀式で、初めて導入されたのは1920年ベルギー・アントワープ大会。第一次世界大戦直後という背景でスポーツマンシップを強く掲げる必要があり、地元フェンシング選手ヴィクトル・ボーアンが聖台に立ち、開催国の国旗と五輪旗に向かって宣誓を行った。以後、審判・コーチ宣誓やパラリンピック宣誓へ発展し、近年はドーピング根絶やジェンダー平等といった文言も盛り込まれている。選手宣誓は五輪精神の核心を観客と共有する重要なセレモニーとして現在も開会式のハイライトになっている。
Q4 : オリンピック聖火リレーを発案し初めて実施した人物は誰?
聖火リレーは1936年ベルリン大会組織委員のドイツ人スポーツ行政家カール・ディームが発案した。古代オリンピアの祭壇で採火した火を競走で運ぶ構想は、ギリシャ神話にも着想を得つつナチス政権が自国技術力や若者の健脚を世界に誇示する宣伝手段として採用したもの。当時はギリシャからドイツまで約3,000kmを3,000人の走者が4.8日間でつなぎ、トーチもドイツの工業力を示すマグネシウム合金製だった。政治利用の側面はあったが、その後の大会でも平和と連帯の象徴として継承され、現代オリンピックの重要な儀式となった。
Q5 : IOCが定めるオリンピックの公用語はどれ?
オリンピック憲章ではフランス語と英語が公用語と規定されている。フランス語が優位で、解釈に食い違いが生じた場合はフランス語版が正式とされる。これはIOC創設時に中心的役割を果たしたクーベルタンをはじめフランス人メンバーが多かった歴史的事情に由来する。一方、開催国の言語も追加的公式言語として認められ、開会式のアナウンスや競技会場の掲示にはフランス語・英語・開催国語の3言語が併記されることが多い。多言語化が進む現代でも、この2言語体制はIOCの伝統と実務を裏打ちする重要なルールとなっている。
Q6 : 冬季オリンピックが初めて開催された年は?
冬季オリンピックの第1回大会は1924年にフランス・シャモニーで開かれた。当初は同年のパリ夏季大会に付随する『冬季スポーツ週間』として計画されたが、後にIOCが遡って正式に『第1回冬季オリンピック』と認定した。16か国・約250選手が参加し、スピードスケート、フィギュアスケート、アイスホッケー、ノルディックスキーなどが実施された。シャモニー大会成功が契機となり、以後4年ごとに別個の冬季大会が開催されるようになった。1936年までは夏と同年開催だったが、1994年リレハンメル以降は夏と冬を2年ずらす方式に変更されている。
Q7 : 夏季オリンピックで史上最多の金メダルを獲得している選手は誰?
アメリカ競泳選手マイケル・フェルプスは2004アテネから2016リオまで4大会連続で出場し、金メダル23個、銀3個、銅2個の計28個を獲得して史上最多メダリストとなった。特に2008年北京では1大会で金8個という前人未到の快挙を達成し、競泳技術の革新と驚異的な身体能力、そしてレース間の短いインターバルでの回復力で世界を驚かせた。ラリサ・ラチニナは旧ソ連体操で金9個、ボルトは陸上短距離で金8個、スピッツは競泳で金9個だが、フェルプスの合計には及ばない。彼の記録はオリンピック史上でも破られるか不透明なほど圧倒的だ。
Q8 : オリンピック旗に描かれた5つの輪は何を象徴している?
オリンピック旗の五輪はピエール・ド・クーベルタンが1913年に考案し、青・黄・黒・緑・赤の5色と白地を合わせると当時の各国国旗の色をすべて網羅できることから、世界の5大陸(アフリカ、アメリカ、アジア、ヨーロッパ、オセアニア)の連帯と友愛を象徴する。5色は特定の大陸に対応しているわけではなく、全ての国民が集い競い合う場であることを示すイメージとされる。1920年のアントワープ大会で初掲揚され、以来開会式の入場行進や閉会式など公式行事で欠かせないシンボルとして認知され続けている。
Q9 : 日本がオリンピックに初めて選手団を送り出した大会は何年のどの大会?
日本は1912年(明治45年)の第5回ストックホルム大会で初めてオリンピックに参加した。金栗四三(マラソン)と三島弥彦(短距離)の2名と監督の大森兵蔵が派遣され、当時の日本はまだスポーツ後進国だったが、国際舞台への参加を通じて国内でのスポーツ普及とナショナリズム高揚が図られた。金栗は途中棄権したものの、彼の挑戦は後に箱根駅伝など長距離文化を花開かせる礎となった。以後、日本はほぼ全ての大会に出場し、アジアの強豪として地位を築く端緒となった歴史的大会である。
Q10 : 近代オリンピックの第1回大会(1896年)の開催都市はどこ?
1896年に実施された近代オリンピックの第1回大会はギリシャのアテネで行われた。大会はフランス人のピエール・ド・クーベルタンが古代競技の復興を提唱し、古代五輪発祥の地に敬意を表して開催地がアテネに決定された。パンアテナイコスタジアムを改修して行われ、男子のみ14競技・241選手が参加。大会を成功させたことで近代オリンピックは4年ごとの祭典として定着し、IOCや各国政府がスポーツ外交を進める契機となった。伝統の開会式・表彰式など現在にも通じる多くの儀式が生まれた大会でもある。
まとめ
いかがでしたか? 今回は簡単なオリンピッククイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は簡単なオリンピッククイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。