1931年9月18日、南満州鉄道の線路爆破事件がきっかけとなり満州事変が勃発しました。この事件は実際には日本軍によるものと言われていますが、日本は中国の仕業と主張し、軍事行動を起こしました。この満州事変は日本の国策拡大の重要な転機となり、その後の日中戦争につながっていきます。この記事では、満州事変を題材にした10問のクイズを紹介しています。事変の背景や経過、関係者、影響など、様々な側面から満州事変について理解を深められる内容となっています。
Q1 : 満州事変後の昭和7年(1932年)、日本で起こった政変・暗殺事件は何でしょうか?
満州事変後の1932年、海軍青年将校らにより犬養毅首相が暗殺された五・一五事件が発生しました。これは国内でも軍部の発言力増大を象徴する事件であり、その後の日本の政党政治の終焉、軍部独裁体制の強化につながっていきました。
Q2 : 満州事変に対する国際連盟の調査団長(リーダー)は誰でしょうか?
国際連盟は柳条湖事件から端を発した満州事変の調査としてリットン調査団を派遣しました。団長はイギリスのリットン伯爵で、報告書(リットン報告書)は日本の行動を侵略と判断し、満州国の正当性を否定しました。
Q3 : 満州国の首都として定められた都市はどこでしょうか?
満州国の首都は長春に置かれ、当時の名は新京(しんきょう)とされました。新京は満州国の政治・経済の中枢として大規模な都市計画のもとで整備され、満州国繁栄の象徴とされました。
Q4 : 満州事変に対する中国側の指導者は誰だったか、当時の中国国民政府主席を選んでください。
満州事変が勃発した時期の中国国民政府主席は蒋介石です。蒋介石は日本への対抗よりも国内の共産党弾圧を優先しましたが、事変後は国民の反日感情が高まり、抗日運動の拡大につながりました。
Q5 : 満州事変の際、現地の日本軍を指揮していたのは何軍だったでしょうか?
満州事変を現地で実行した主体は日本の関東軍です。関東軍は日本の軍部の中でも特に独立性が高く、現地の判断で行動する傾向が強かったため、満州事変も事前に政府の許可を得ずに実行され、政軍関係の問題が大きく表面化しました。
Q6 : 柳条湖事件が発生した正確な日付はいつでしょうか?
柳条湖事件が起こったのは1931年9月18日です。この日を境に満州事変が勃発し、満州全土へ戦線が拡大されていきました。この事件は名目上は中国軍の仕業とされましたが、実際には日本軍による自作自演でした。
Q7 : 満州事変を非難するために結成された国際組織はどれでしょうか?
満州事変を受け、日本の行動を非難する声明と決議を上げたのは国際連盟です。リットン調査団が派遣され、日本の軍事行動を不当とする報告書を作成。この決定に対し日本は反発し、1933年には国際連盟脱退を決定します。
Q8 : 満州事変の後、日本によって建国された国の名称はどれでしょうか?
満州事変の後、日本は満州国を建国しました。満州国は1932年に日本の傀儡国家として設立され、清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀が執政、のちに皇帝となりました。しかし、国際的にはこの国の独立はほとんど認められませんでした。
Q9 : 満州事変の発生当時、日本の内閣総理大臣を務めていたのは誰でしょうか?
満州事変発生時(1931年)の日本の内閣総理大臣は若槻禮次郎です。若槻内閣は関東軍による現地の独断専行に対して統制が取れなかったとされ、結果的に満州事変は政府の意思とは離れて軍の主導で拡大していきました。
Q10 : 満州事変が始まるきっかけとなった事件は何でしょうか?
満州事変は1931年9月18日に発生した柳条湖事件がきっかけです。南満州鉄道の線路が爆破され、それを中国側の仕業とした関東軍が武力行動を開始しました。実際にはこの線路爆破は日本軍が自作自演で行ったと言われており、満州事変は日本の国策拡大を推進する大きな転機となりました。
まとめ
いかがでしたか? 今回は満州事変クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は満州事変クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。