明治政府の基礎を築いた歴史的な出来事、「王政復古の大号令」。本記事では、この大号令に纏わる10のクイズに挑戦していただきます。日本史の転換点を知る良い機会となるでしょう。当時の動乱の中で発せられた大号令の意義や、新政府の成立への道のりを、クイズを通して学んでいただければと思います。明治維新への重要な一歩を確認し、日本近代史への理解を深めていただければ幸いです。
Q1 : 王政復古の大号令の後、旧幕府側と新政府側との対立が本格化し、勃発した戦争は?
王政復古の大号令の直後、新旧両勢力間の対立が決定的となり、戊辰戦争(1868~69年)が勃発しました。この戦争によって、旧幕府体制が完全に崩壊し、明治維新が実現することになります。
Q2 : 王政復古の大号令を受け入れた徳川慶喜が就任を退いた役職は何か?
徳川慶喜は王政復古の大号令によって征夷大将軍職を辞任し、徳川幕府の終焉が公式化しました。征夷大将軍は江戸時代を通して幕政の最高ポストでした。
Q3 : 王政復古の大号令と同日に行われた有名な会議を何というか?
王政復古の大号令が発せられた当日夜、「小御所会議」が開かれました。ここで徳川慶喜の辞官納地問題が審議され、事実上の徳川家領地没収の方針が定まるなど、明治新政府設立へ大きく動くことになりました。
Q4 : 王政復古の大号令の直接的な目的として正しいものはどれか?
王政復古の大号令は、名目上“王政復古”、すなわち天皇親政の完全復活を目指すものでした。幕府システムの打破と中央集権的な新政府の樹立を直接の目的としていました。
Q5 : 王政復古の大号令の直後、「三職」のうち最初に総裁に任命されたのは誰か?
三職の総裁には、有栖川宮熾仁親王が任命されました。新政府の正統性を高める狙いで皇族がトップに立つ形を取ったことが、大きな特徴です。
Q6 : 王政復古の大号令が発せられた場所はどこか?
王政復古の大号令は、京都御所で発されました。京都は、当時、朝廷が存在していた都であり、新政府樹立という歴史的転換の場にふさわしい場所です。
Q7 : 王政復古の大号令によって成立した新政府の最高機関でないものはどれか?
王政復古の大号令により、新政府の機構として“三職”が設けられました。三職とは総裁・議定・参与です。太政官はその後の制度で設けられた官制ですが、大号令時点では三職体制が取られました。
Q8 : 王政復古の大号令を策定した中心人物に含まれないのは誰か?
王政復古の大号令の策定には、岩倉具視、西郷隆盛、桂小五郎(のちの木戸孝允)など討幕派公家と志士が中心ですが、徳川慶喜は幕府の将軍で、大号令によってその地位を失う立場でした。
Q9 : 王政復古の大号令により廃止されたのは何か?
王政復古の大号令では、江戸時代の幕藩体制を象徴する摂政・関白職の廃止も宣言されました。これにより公武合体策も否定され、朝廷中心の新政権への道が開かれます。実際には将軍職自体も形骸化しましたが、制度的に大きな意味を持つ変革でした。
Q10 : 王政復古の大号令が発せられた年はどれか?
王政復古の大号令は、慶応3年(1867年)12月9日に京都御所で発せられました。この大号令により、江戸幕府は名実ともに消滅し、日本の歴史は明治へと大きく転換しました。明治政府樹立への重要な一歩として記憶されています。
まとめ
いかがでしたか? 今回は王政復古の大号令クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は王政復古の大号令クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。