明治維新の転換点となった大政奉還。江戸幕府の260年にわたる支配が終焉を迎えた歴史的事件について、様々な角度から検証するクイズをお届けします。徳川慶喜の決断や、新政府の誕生など、大政奉還の重要な意義を理解するための10問。日本近代史の始まりに触れていきましょう。
Q1 : 大政奉還により廃止された、江戸幕府首座の立場を示す役職はどれか?
江戸時代の幕府首座の役職である「征夷大将軍」は、大政奉還により廃止されました。これにより将軍という役職自体が消滅し、政治の主導権は朝廷に返上されたのです。
Q2 : 大政奉還後、徳川慶喜が任命された新政府の役職はどれか?
王政復古の大号令後、徳川慶喜は「総裁」に任命されました。しかし、これは新政府における名誉職で新たな実権は与えられず、政治的には完全に権力を失うことになりました。
Q3 : 徳川慶喜が大政奉還を決断した際、都(京都)の政治中枢で下された命令は何と呼ばれるか?
徳川慶喜が大政奉還を決断した後、京都の御所で発令されたのは「王政復古の大号令」です。1868年1月3日に発せられ、天皇親政の復活と幕府の廃止、新政府の樹立を宣言しました。
Q4 : 大政奉還が実現する前、倒幕を目指して密かに連携していた藩はどれか?
大政奉還前、倒幕を目指して連携していたのは薩摩藩と長州藩です。「薩長同盟」は坂本龍馬などの尽力により実現し、これにより幕藩体制打倒の動きが加速しました。
Q5 : 大政奉還前にある藩が主導して同様の意見書を幕府に提出しようとしたが、取り下げられた藩はどこか?
大政奉還の前段階で土佐藩が幕府に大政奉還の意見書を提出しようと動いていました。土佐藩の山内容堂や後藤象二郎などが中心で、慶喜が最終的に自らの判断で朝廷に政権を返しました。
Q6 : 大政奉還の後、幕府が完全に消滅したきっかけとなる戦いはどれか?
大政奉還の後、旧幕府勢力と新政府勢力の間で勃発した「戊辰戦争」が、幕府の完全な消滅のきっかけとなりました。代表的な戦いに「鳥羽・伏見の戦い」も含まれますが、戊辰戦争全体で幕府は崩壊しました。
Q7 : 大政奉還が出された際、実質的な政権はどこに返上されたか?
徳川慶喜は政権を朝廷に返上しました。つまり、幕府が行っていた政治を朝廷(天皇中心の政府)に返すことを意味し、律令国家以来の政体復古が目指されました。
Q8 : 大政奉還を建議したとされる土佐藩出身の人物は誰か?
大政奉還の建議を主導したのは、土佐藩の後藤象二郎です。坂本龍馬も影響を与えたものの、実際に朝廷や幕府に働きかけ、大政奉還を積極的に勧めた中心人物は後藤象二郎でした。土佐藩藩主・山内容堂も大きく関与しています。
Q9 : 大政奉還が成立したのは西暦何年か?
大政奉還が成立したのは1867年(慶応3年)のことです。徳川慶喜が10月14日に朝廷に政権返上を申し出て、10月15日に受理されました。なお、王政復古の大号令はその2ヶ月後の1868年(慶応4年)正月に発せられます。
Q10 : 大政奉還を決定した将軍は誰か?
大政奉還を決断したのは江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜です。1867年10月14日、慶喜は政権を朝廷に返上することを決定しました。これにより、約260年続いた江戸幕府の幕藩体制が実質的に終焉を迎え、日本は近代国家建設の道への大きな転換点を迎えることとなりました。
まとめ
いかがでしたか? 今回は大政奉還クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は大政奉還クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。