室町時代から江戸時代にかけて、日本と明の間で行われた正式な貿易ネットワークが「日明貿易」です。この貿易は、足利義満将軍の外交努力によって開始され、日本にとって多大な経済的利益をもたらしました。今回のクイズでは、この日明貿易の歴史的経緯や特徴について、10の問題を用意しました。日明貿易に関する知識を確認しつつ、その実態に迫っていきましょう。
Q1 : 日明貿易の途絶に大きな影響を与えた日本国内の出来事は?
応仁の乱は15世紀後半の大規模な内乱で、これによる混乱や中央政府の統制力低下が日明貿易を困難にし、次第に衰退させていきました。鎌倉幕府滅亡は日明貿易の前の話、戊辰戦争や安政の大獄は江戸末期の出来事です。
Q2 : 勘合貿易は朝貢貿易の一種でしたが、日本が明に対し形式的に行ったことは?
勘合貿易は形式としては朝貢貿易でしたので、日本は明の皇帝に使者と共に貢物を献上するという体裁をとりました。実態は対等な貿易関係でしたが、形式上は日本が「朝貢国」とされ、皇帝の使節で貿易を認められました。
Q3 : 勘合貿易の主な利益の一つであった、明から日本に輸入されたのは何ですか?
明からの主要な輸入品は生糸でした。当時の日本は絹織物の技術が発展途上であり、生糸や絹織物は非常に高価で貴重品とされていました。米や大豆は国内で生産でき、刀剣はむしろ日本の輸出品でした。
Q4 : 日明貿易の管理・独占を狙った日本の勢力は何家でしょう?
日明貿易の利益は大きく、特に大内氏が西日本でその権益を独占しようとし、勘合船を多く派遣しました。一時、細川氏との争いも生じましたが、室町後期には大内氏が主導権を握りました。今川家、北条家は直接的な関与はありません。
Q5 : 日明貿易における中国側の受け入れ窓口の都市はどこだったでしょう?
日明貿易で日本の使節が到着・貿易を行ったのは南京です。当時の明の都であり、勘合を用いた公式貿易はここを通じて行われました。広州や上海、北京は日明貿易の主舞台ではありませんでした。
Q6 : 日明貿易が本格的に終了したのはいつの時代?
日明貿易は応仁の乱など動乱の影響も受けながら戦国時代末期まで続きましたが、江戸時代初期(17世紀初め頃)に徳川幕府による鎖国政策が進む過程でほぼ終息しています。南北朝・明治時代とは関係がありません。
Q7 : 日明貿易で日本から明への主な輸出品でなかったものはどれでしょう?
日明貿易では銅・硫黄・刀剣などが日本から明への主な輸出品でした。逆に陶磁器は中国から日本への輸入品であり、日明貿易で日本が中国に陶磁器を大量に輸出した事実はありません。陶磁器は日本での輸入品として人気がありました。
Q8 : 日明貿易を始めるきっかけとなった日本の将軍は誰でしょう?
日明貿易を始めたのは室町幕府の第3代将軍・足利義満です。明と国交を結び、勘合符を使って正規の朝貢貿易を開始しました。足利尊氏は幕府の創始者、義教・義政は後代の将軍で、貿易開始には関わっていません。
Q9 : 日明貿易で使用されたことから別名「勘合貿易」とも呼ばれる、この勘合とは何でしょう?
「勘合」とは、貿易の安全や正当性を保証するための貿易許可証です。明から渡され、日本の使者がこれを持参し、取引の際に中国側と照合することで公式の貿易使節であることを証明しました。このため日明貿易は「勘合貿易」とも呼ばれます。船や貨幣、書物の名前ではありません。
Q10 : 日明貿易が開始されたのはどの時代のことでしょうか?
日明貿易が開始されたのは室町時代のことです。足利義満が明との国交を回復し、正式な使節・貿易を始めました。平安時代や鎌倉時代には中国(宋や元)との交流はありましたが、明との正式な貿易は室町時代からです。江戸時代は日中間での交流が限定的となり、日明貿易とは無関係です。
まとめ
いかがでしたか? 今回は日明貿易の開始クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は日明貿易の開始クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。