南北朝時代、日本は分裂した二つの朝廷によって治められていました。後醍醐天皇が京都を脱出し、吉野に拠点を移したことで南朝が生まれ、一方で京都に北朝が成立しました。二つの天皇家が三種の神器を巡って対立する中、足利義満の和議によって、ついに南北朝は1392年に合一を果たしました。この激動の時代について、10問のクイズでその歴史を振り返ります。
Q1 : 南北朝が統一されたとき、最後の南朝天皇は誰でしたか?
南北朝合一時の南朝最後の天皇は後亀山天皇です。1392年、後亀山天皇は三種の神器を北朝へ譲ることで南北朝合一を実現しました。後村上天皇、長慶天皇は南朝天皇の一人ですが、最後の天皇は後亀山天皇です。後醍醐天皇は初代南朝天皇です。
Q2 : 南北朝時代、南朝の天皇として正統とされた天皇は誰によって定められましたか?
明治時代に、明治天皇が詔勅を出し、南朝が正統であったとする決定がなされました。それ以前は北朝・南朝のどちらも正統とされることが多かったのですが、この詔勅によって南朝系天皇が正統とみなされるようになりました。他の選択肢は該当しません。
Q3 : 南北朝時代に成立した武家政権はどれですか?
南北朝時代の武家政権は室町幕府です。足利尊氏が建て、室町幕府はその後長く続きます。鎌倉幕府は南北朝前に滅亡、江戸幕府はそれより後の時代です。『平家政権』という名称の武家政権はありません。
Q4 : 南北朝時代、南朝があった地(吉野)は現在のどこにあたりますか?
南朝の拠点となった吉野は、現在の奈良県吉野郡吉野町にあたります。後醍醐天皇ら南朝勢力が籠城したことで有名です。他県は吉野とは直接関係がありません。
Q5 : 南北朝時代、三種の神器の所有を争ったのはどの皇統か?
南北朝時代は、皇位継承権を巡って大覚寺統(南朝)と持明院統(北朝)が三種の神器の所有権を主張し、対立しました。この対立の結果、二つの天皇家が並立するという異例の状況になりました。その他の統は実在しません。
Q6 : 南北朝合一のきっかけとなった出来事はどれですか?
南北朝の合一は、足利義満が主導して南北両朝間の和議を成立させることにより実現しました。この和議により1392年、南朝の後亀山天皇が三種の神器を北朝に渡し、朝廷の統一がなされました。その他の出来事は直接合一の契機ではありません。
Q7 : 南北朝時代に活躍した南朝側の武将として有名なのは誰ですか?
新田義貞は南朝の有力武将で、各地を転戦して南朝勢力を支えました。特に鎌倉への攻撃や、各地の戦闘で活躍しました。足利義満は北朝を支えた室町幕府三代将軍、細川頼之は北朝の有力守護大名、今川義元は戦国時代の武将で時代が異なります。
Q8 : 南北朝時代のきっかけとなった元号は何ですか?
南北朝時代は、建武の新政が失敗し後醍醐天皇が京都から吉野へ逃れることで始まりました。ここから南北の二元的な朝廷がおかれ、以降、南北朝時代と呼ばれます。他の元号(応仁、承久、嘉吉)は南北朝時代とは直接関係がありません。
Q9 : 南北朝時代、北朝が拠点とした都市はどこですか?
南北朝時代、北朝は京都を本拠地にしていました。一方、南朝は吉野(現在の奈良県吉野町)に拠点を置きました。鎌倉はかつての武家政権(鎌倉幕府)の本拠地で、時代が異なります。奈良は古代日本の都でしたが、南北朝時代の拠点ではありませんでした。
Q10 : 南北朝時代の南朝初代天皇は誰ですか?
南北朝時代は、後醍醐天皇が京都を脱出し、吉野に皇位を移したことで始まりました。これにより、南朝(吉野朝廷)の初代天皇となりました。他の選択肢の天皇は南北朝時代の南朝の初代天皇ではありません。念のため、光厳天皇は北朝、後鳥羽天皇や亀山天皇はさらに古い時代の天皇です。
まとめ
いかがでしたか? 今回は南北朝の分裂クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は南北朝の分裂クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。