源平合戦をめぐる歴史に隠された数々の知られざる事実を、クイズという形式で紐解いていきます。平治の乱から承久の乱まで、源氏と平氏の一連の争いを振り返りながら、屋島の戦いの名場面や壇ノ浦の悲劇など、源平合戦の重要ポイントを10問のクイズにまとめました。武将の活躍から、政争の背景まで、この源平合戦クイズを通して、中世日本の歴史を深く理解していただけることでしょう。
Q1 : 最後の源平合戦、壇ノ浦の戦いが起こった場所(海域)はどこか?
壇ノ浦の戦いは1185年、現在の山口県下関市、瀬戸内海の西端である関門海峡で繰り広げられた源平合戦の決定的な戦いです。他の湾は場所が異なります。
Q2 : 源平合戦の頃、都(京都)に住んでいた皇族は誰が中心だったか?
源平合戦当時、院政を敷いて政界の実権を持っていたのは後白河法皇(ごしらかわほうおう)で、源平両氏も彼の意向を強く意識して行動していました。
Q3 : 源義経と共に平家討伐で活躍した弓の名手は誰か?
那須与一(なすのよいち)は扇の的の逸話で知られる平家討伐の名弓手です。弁慶は剣の達人、佐々木高綱や梶原景時も武将ですが、弓の名手として有名なのは与一です。
Q4 : 『平家物語』で語られる源平合戦の「祇園精舎」の鐘の声が表すものは何か?
『平家物語』の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」は盛者必衰の理を表しており、繁栄した平家もやがて滅びることを暗示しています。
Q5 : 源平合戦の後、平家を滅ぼした源氏の棟梁が樹立した幕府の名称は?
源平合戦で勝利した源頼朝は、1192年に鎌倉幕府を開き、日本で初めての本格的な武家政権の礎を築きました。他の選択肢の幕府は後世の政権や、実在しないものです。
Q6 : 壇ノ浦の戦いで幼くして入水した平氏一門の皇子は誰か?
壇ノ浦の戦いにおいて、平氏方の安徳天皇(あんとくてんのう)は祖母・建礼門院に抱かれて入水し、悲劇的な最期を遂げました。後鳥羽・後白河・六条天皇は別人です。
Q7 : 源平合戦で源氏と戦った平氏の総大将は誰か?
源平合戦で平氏軍を率いていた総大将は平宗盛(たいらのむねもり)です。平清盛は彼の父ですが、合戦中に亡くなっていました。教経や敦盛も勇将ですが、総大将ではありません。
Q8 : 源氏の総大将・源義経が平氏討伐のために選んだ奇襲戦法の舞台となった戦はどれか?
一ノ谷の戦いでは源義経が「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」と呼ばれる大胆な奇襲戦法によって平氏軍の本陣をつき、大勝を挙げました。この作戦で源氏側は形勢を逆転させ、源平合戦の流れを決定付けました。
Q9 : 源平合戦で有名な『屋島の戦い』で、扇の的を射落とした武将は誰か?
屋島の戦いにおいて、那須与一(なすのよいち)は平家方が小舟に掲げた扇の的を見事に射落とし、源氏側の士気を高めたことで有名です。源義経は総大将ですが、扇の的を射たのは与一です。佐々木高綱や木曽義仲はこの逸話の当事者ではありません。
Q10 : 源平合戦の発端となった事件は何か?
治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)は、源平合戦と呼ばれる一連の戦いの発端となった事件です。1180年から1185年にかけて、源氏と平氏が全国的に争い、最終的には源氏が勝利を収めました。平治の乱や保元の乱はそれ以前の政変であり、承久の乱は後世の戦いです。
まとめ
いかがでしたか? 今回は源平合戦クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は源平合戦クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。