卑弥呼を知る上で欠かせない10の重要なクイズ! 古代倭国の歴史に迫る一連のクイズに挑戦しよう。『魏志倭人伝』などの中国史料に登場する卑弥呼の足跡を探っていきます。国や王朝、後継者、政治手法など、彼女に関する様々な知見を問うクイズを通して、古代日本の豊かな歴史に迫ります。卑弥呼をめぐる謎に挑戦し、この時代の理解を深めてみてはいかがでしょうか。
Q1 : 卑弥呼の名前について正しい理解はどれ?
卑弥呼という名前は、『魏志倭人伝』など中国側史料にのみ記されており、これが実際の実名だったかどうかについては不明とされています。また、その意味合いについても諸説ありますが、確実に実名とする根拠や、男性名とする証拠はありません。中国語の意味から取られたとも断定できません。
Q2 : 卑弥呼の時代の使者の派遣経路は、おおむねどこを通ったと考えられている?
『魏志倭人伝』に記された遣使の経路は、朝鮮半島南部に位置する狗邪韓国を経て中国大陸へ至るものでした。つまり、朝鮮半島を経由するルートが中心であり、南洋ルートや東シナ海北回り、日本海ルートではありません。
Q3 : 卑弥呼の晩年について『魏志倭人伝』に記された事柄は?
『魏志倭人伝』には、卑弥呼が魏から詔書や金印、銅鏡、布など多くの贈り物を受けたことが記録されています。これは、魏に認められた証であり、中国から追放されたり国を三分した、朝鮮半島に亡命した、という事実はありません。
Q4 : 卑弥呼の住まいやその暮らしについて、『魏志倭人伝』で記されたことは?
『魏志倭人伝』には、卑弥呼は宮殿に住み、堀や柵で厳重に防御された住居で暮らしていたと記されています。また、男子千人による護衛の存在も記されており、彼女の地位の高さとその神聖視がうかがえます。
Q5 : 卑弥呼の時代、統治方法として伝えられている特徴は?
『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼は人前にほとんど姿を現さず、祭祀や占いを通じて政治を行っていたとされています。彼女の政権は宗教的威信に基づいており、直接軍事による支配ではなかったと記録されています。
Q6 : 『魏志倭人伝』で、卑弥呼の後継者とされる人物は誰?
『魏志倭人伝』には、卑弥呼の後、「壱与(いよ)」という13歳の少女が新たに女王となり、再び倭国は平和を取り戻したと記されています。壱与以外の人物は別の時代や文献の人物です。
Q7 : 卑弥呼の時代の日本と交流があった中国王朝の都はどこだった?
三国時代の魏の都は洛陽でした。卑弥呼が派遣した使者は魏の都・洛陽に到着し、皇帝に謁見したと『魏志倭人伝』に記されています。他の選択肢はそれぞれ別の時代の都になります。
Q8 : 卑弥呼の死後、国はどうなったと伝えられている?
卑弥呼の死後、男王が立てられましたが国内が再び混乱したと『魏志倭人伝』に記されています。そのため、卑弥呼の一族である娘(壱与)が女王として擁立されて秩序が回復したと伝えられています。弟が専制した、国が滅亡した、すぐに平和が訪れた、という記載はありません。
Q9 : 卑弥呼が支配していたとされる国は?
卑弥呼が支配していたのは邪馬台国です。中国の歴史書『魏志倭人伝』には、倭国の中の30余国のうち、女王国である邪馬台国が中心的立場にあったとされています。邪馬台国の場所は諸説ありますが、卑弥呼が国の女王であったことは確かです。
Q10 : 卑弥呼が遣使したとされる中国の王朝はどれ?
卑弥呼が正式に朝貢したとされる中国の王朝は、三国時代の魏です。『魏志倭人伝』によると、239年に魏に使者を送り、「親魏倭王」の称号と金印紫綬などを授けられました。漢はそれよりも前の王朝、秦はさらに古く、呉も三国時代の王朝ですが卑弥呼とは直接の関係はありません。
まとめ
いかがでしたか? 今回は卑弥呼クイズをお送りしました。
皆さんは何問正解できましたか?
今回は卑弥呼クイズを出題しました。
ぜひ、ほかのクイズにも挑戦してみてください!
次回のクイズもお楽しみに。